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2021年5月21日以前の記事です。
2020.02.07
ギザのピラミッド近くに、ツタンカーメン王の黄金のマスクなどを収蔵する大エジプト博物館の建設が日本の支援で進められており、10月に開館予定。昨年末、視察した。カイロにある考古学博物館から10万点を移す。総事業費の6割を円借款で供与、遺物の修復を日本人専門家がエジプト人に指導している。
総事業費は約1,400億円。うち6割の842億円を円借款で日本が支援。私は、ODAに対しては「国民の税金の使い道」という観点から厳しい見方をしているが、3,500年以上前の古代エジプトの王墓からの出土品など、人類共通の遺産を残すという意味で、この事業は評価する。
現地で説明を受けた西坂朗子・「JICA大エジプト博物館合同保存修復プロジェクト」副総括(エジプト学の第一人者である吉村作治先生の門下)に、一時帰国中の1月末、自民党文化立国調査会で講演してもらった。
大エジプト博物館「Grand Egyptian Museum」 (GEM)は敷地面積約47万㎡(東京ドームの約10倍)、展示面積約5万㎡(東京ドーム約1個分)で、最終的にはエジプト考古学博物館(カイロに1902年設立)から10万点を移送する。ツタンカーメン王のコレクションはすべて移送する。同博物館には私も訪れたが、老朽化して手狭になっており、来館者で非常に混み合っている。展示していない遺物の多くが、倉庫に、温度や湿度の管理がされていない劣悪な状態で置かれたままという。
三大ピラミッドが近くに見られることから、エジプト政府は、周辺にホテルやショッピングセンターなどを整備し、スフィンクス国際空港を活用して、一大観光拠点にしたい考えだ。
同国にとって、観光産業はGDPや雇用総数の1割を占める。重要な外貨収入源なのだが、2010年をピークに減少化傾向にある。(2011年の革命、政変などが原因)
現在建設中のため、ヘルメット、防護服というスタイルでの視察となった。大エジプト博物館(GEM)の玄関中央に建てられたラムセス2世像(古代エジプトで最も敬愛されている王)の隣には、日本とエジプトの国旗が立てられている。ラムセス2世は90歳を超えるまで生き、100人以上の子どもがいた。66年に及ぶ統治期間にアブ・シンベル神殿など多くの建築、増築を行い「建築王」とも呼ばれた。ツタンカーメン王のコーナーの解説は、アラビア語(エジプトの国語)、英語、日本語の3ヵ国語で表記される。館の入り口には「MUSEUM」とともに縦書きで「博物館」と記載されていた。
既存のエジプト考古学博物館はフランスが主導で1902年に開設、1950年まではフランス人が館長を務めた。英仏米独、イタリアはかつてエジプトの遺跡から発掘した遺物を大量に持ち帰り、自国の博物館で展示している。
日本にはそういう「負の歴史」がないからこそ、今回の共同事業につながったのだといえる。
「合同保存修復プロジェクト」の対象は72点。様々な分野の日本の専門家40人が、持ち込んだX線撮影装置や高精細デジタル顕微鏡を使ったり、修復に必要な刷毛(はけ)や釘(くぎ)、和紙、布、木などの素材をアドバイスして、エジプト人の手で修復できるよう技術移転した。
カイロ大学や、エジプト日本科学技術
大学(アレクサンドリアにある、日本が設立に協力した大学)を卒業した若い女性10人も考古省の職員として雇用され、修復作業を学んでいた。
今ではエジプト人も自ら刷毛や和紙など日本の素材を選び、インターネットで調達もできるようになっているという。
修復センターには、国連のグテーレス事務総長やマドブーリー・エジプト首相も訪れ、エジプトにおける文化財保存修復・研究の中心的役割を期待されている。
将来、中東・アフリカの研究拠点となり、日本が技術を教えたエジプトの専門家が、各国から訪れた研修生を育成する、三角協力が実現してほしい。
日本ではツタンカーメン王の人気が非常に高く、1962年(昭和37年)に黄金のマスクが日本で初公開され、東京国立博物館や京都国立博物館など全国を巡回した際には295万人が行列をなして見学したが、この記録は今も破られていない。また、2012年(平成24年)にツタンカーメン王の木棺などが展示された際も全国で200万人が来場し、歴代2位の入場者記録となっている。
大エジプト博物館の開館とともに、古代エジプトへの関心が高まり、日本からの観光客も増えてほしい。