話題のトピックについて、詳細に触れています。
2021年5月21日以前の記事です。
2018.11.01
灯台150年記念式典(海上保安庁主催)が、皇太子同妃両殿下ご臨席のもと、1日開かれ、私も元国土交通副大臣として招かれた。
明治元年(1868年)11月1日、日本初の洋式灯台として、ヴェルニーを技師長とするフランス人技術者集団により観音埼灯台(横須賀市)の建設が始まったことが、「灯台記念日」のいわれ。
明治政府が幕府の約束を引き継ぐ形で発注し、翌明治2年1月1日に初点灯した。鉄道よりも電信よりも早いインフラ整備だった。1956年(昭和31年)、日本初の無人灯台が完成。長崎県五島市の女島灯台を最後に2006年12月、すべての灯台が自動化し、家族ぐるみで滞在勤務する「灯台守」はいなくなった。
皇太子殿下は「4歳の時、初めて両親に連れられ、千葉県野島崎灯台を訪問しました」「『喜びも悲しみも幾歳月』の映画や歌詞が印象に残っています」と述べられた。野島埼灯台(南房総市)もヴェルニーが建設。観音埼灯台に次ぐ歴史を持つ。
灯台は昭和に入り300基を超し、800人もの灯台守が航路の安全を支えた。
人里離れたへき地や離島に建てられた灯台を守る苦労は大変なものだった。自給自足の暮らしで、炊事も洗濯も雨水。子どもらは、小学校まで5キロ以上歩いた。このことに深く同情した貞明皇后(大正天皇の皇后)が昭和11年(1936年)、全国各地の灯台にラジオを配布された。NHKラジオ放送が始まって、まだ10年余りのことである。
式典ではローラン・ピック駐日フランス大使が「ナポレオン3世に命じられたフランス海洋技師らが日本の最初の灯台を建設した。横須賀造船所、富岡製糸場とともに日仏の友好の証し」と祝辞を述べた。