衆議院議員 松島みどりブログ

話題のトピックについて、詳細に触れています。

2021年5月21日以前の記事です。

成人式で「三つのお願い」

2013.01.15

荒川区の成人式に4年ぶりに招かれ、出席した。(現職議員しか招待されない。)
平成4年4月2日から平成5年4月1日生まれ(小中学校時代の友人と会えるよう、学年主義)の男女1687人が対象者となり、サンパール荒川の大ホールほぼいっぱい、千人くらい出席していた。大雪で晴れ着の皆さん、ほんとうに気の毒。

私は挨拶で「3つのお願いをしたい」と話した。

まず、「今朝または昨日の夜、お母さんお父さん、あるいは、おじいちゃんおばあちゃんに『20年間、育ててくれてありがとう』と、言った人、手を挙げて」と質問。パラパラと少しだけ、手が挙がった。真ん中のスーツ姿の男子が恥ずかしがることなく、真っ直ぐ手を挙げたのが印象的だった。

「それ以外の人はぜひ、今日帰ったら、改まって『ありがとう』と言ってください。私は残念ながら子どもがいません。皆さんのような子どもがいたら、どんなにいいかなと。皆さんのお母さんお父さんは、あなたたちが生まれたときのことや、小さかったときのことなど思い出して、『20歳になったんだ』と、どれほどうれしく、感無量でいるだろうかと思います」

2番目は、「シビアな話をします。まったく該当しなかったら、それでいいんですけれど」と切り出した。

「皆さん、小学校中学校、高校時代を振り返って、いじめられたこと、いじめたこと、いじめを見て見ぬふりをしたこと、そういう経験があるかもしれない。

いじめたことがある人、いじめに気づかないふりをしたことがある人は、今日、この会場でいじめた相手を見つけたら、謝ってほしい。

もし、今日、来ていなかったら、近いうちに訪ねて、ちゃんと謝ってほしい。いつか、けじめをつけなければいけないのだから」と。

このことを言う前に、私はずいぶん悩んだ。
いじめられた側はしばしば心的後遺症に悩まされるというから、同級生が出る成人式に来る可能性は低いかもしれない。

また、いじめの加害者たちが大勢でつるんだら、成人式を機に、いじめが再発する可能性があるかもしれない。

そこまでいかなくても、いじめっ子がそろって目の前に現れたら、いじめられた側は、これほどつらいことはないかもしれない。そう、思ったからだ。

しかし、いじめられた方は大変な思いをしても、いじめの加害者側はいじめた自覚がなかったり、いじめの事実をまったく忘れていたりすることがしばしばあり、それが大人になった被害者をまた苦しませることがあるという記事(実例を挙げていた)を思い出し、壇上から呼びかけることにした。

3つ目は、「皆さんの中には、将来、お母さんになりたいと願っている女性も多いと思う。しかし、平均寿命は伸びても、卵子の寿命は伸びていません。35歳を過ぎると、妊娠しにくくなることが、医学的にも示されています。もちろん、皆さんのお母さんのなかには、40代になってから、命がけで生んでくれた人もいるでしょうが、一般的には35歳が壁です。

だから、子どもを持つ機会に恵まれたら、ぜひ、そのチャンスを生かしてください。
男性の皆さんも、パートナーが『産みたい』と言ったら、『産んでくれ、一緒に育てよう』と言えるよう、経済的にも精神的にも自立できるよう、がんばってほしい」。

以前、現職時代にいつも語りかけた内容だ。浪人中は、大学の講義で、力説してきた。でも、ここ数年、大学生が新卒で就職できるのは65%にまで落ち込んでいる。

西川区長も、成人式の主催者挨拶で、この就職内定率に触れ、「大変な時代だが、皆さんが、なりたい人間になれるように」と述べた。「皆がちゃんと正規雇用の職場につけるように」と言うことが、現実離れした無責任なことになってしまう世の中なのだ。

私は、地元の新年会などで「経済を立て直す。そして若い人がちゃんと就職し、数年後には結婚や子育ての夢を持てる日本を取り戻す」と力説する。すると、時々、「若い人じゃなくて、年寄りの雇用もちゃんとしてくれ」と年配者に文句を言われることがある。

こんな時、私はひるまず、「皆さんのお子さんやお孫さんが就職できないと、私たちの年金の面倒も見てもらえなくなるんですよ」と言い返す。

自民党の厚生労働部会でも、「65歳まで雇用を延長、なんていう法律を作ったけれど、ますます若い人が雇ってもらえなくなるのではないか」と、かみついた。

「60代も若者も両方大事」とヤジを飛ばした、(年長の)新人議員がいたが、私は「これから結婚、子育てに向かう若い人の雇用のほうが大切だ。少子化が進んで日本人が減らないためにも」と主張した。

若い人たちが、きちんと就職できる、結婚、子育てできる経済的環境、育児の環境をつくることが、国会議員として、何よりの責務だと、改めて思う。