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2021年5月21日以前の記事です。
2019.11.01
首里城が燃え落ちていく様は、本当に痛ましかった。
二度訪れたことがあるだけの私でさえ、辛かったのだから、首里城を「宝」と、誇りにしてきた沖縄の人たちにとって、衝撃、悲しみはいかばかりだろう。今後再建に向けて政府が動き出すよう、自民党文化立国調査会長代理の立場からも後押ししたい。
仏・ノートルダム寺院の焼失をきっかけとして、文化財保護の予算を増やす話を最近、文化庁幹部から聞いた、その矢先の出来事である。新しく選挙区に入った上野消防団の訓練が上野公園で行われた際には「多くの博物館や美術館を持つ地域で、文化財保護にもあたっていただき、ありがとうございます」と語ったこともある。
首里城は15世紀初頭に整備されて以来、約450年にわたり、琉球王国の中心だった。近代では、1925年(大正14年)に当時の正殿が国宝に指定された。1945年、沖縄戦の米軍攻撃により焼失した。
戦後、跡地に琉球大学が建てられ、同大学が移転した後、1989年(平成元年)復元工事が始まり、1992年に正殿、北殿などが完成。2000年には九州・沖縄サミットの社交夕食会が北殿で開かれるなど、歴史の節目にその名前を刻んできた。
サミット開催地の決定において、警備面などから沖縄は不利とされてきたが、沖縄をこよなく愛した小渕恵三総理の決断によって同地に決まった。しかし小渕総理は開催3ヶ月前に病に倒れ、議長は後任の森喜朗総理が務めた。
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