衆議院議員 松島みどりブログ

話題のトピックについて、詳細に触れています。

2021年5月21日以前の記事です。

交通犯罪の厳罰化

2020.06.24

 あおり運転対策を強化する改正自動車運転死傷行為処罰法が7月2日、施行される。
 衆議院法務委員長として同法成立にかかわったが、参考人として来てもらった栃木県の被害者遺族の女性の言葉が胸に響いた。

 「20年前、介護施設の勤務から帰宅途中に車を運転していた19歳の娘が、飲酒・居眠り運転で対向車線から突っ込んできた大型トラックと正面衝突し、命を落とした。
『業務上過失致死、道路交通法違反、酒酔い運転』で起訴された加害者は、求刑も判決も、たった3年6カ月の懲役だった。大型トラックを鉄の固まりの凶器に変え、公道を走る行為は無差別殺人と同じなのに」と、当時の法体系のおかしさ、罪の軽さを嘆いたのである。私が初当選したころの事故である。

 当時、犯罪とも言うべき事案も含め、交通事故について専門の法律はなく、刑罰は軽かった。悪質な事故で相手を死なせても法定刑は「懲役5年以下」だった。
 傷害致死事件なら「2年以上15年以下の懲役刑」であったのに比べ、飲酒運転や暴走運転で人を死なせた場合の刑はずっと軽かったのである。
 数次にわたる法改正を行って厳罰化を進め、現在は、危険運転致死は「1年以上20年以下の懲役」、傷害致死は「3年以上20年以下の懲役」で、ほぼ重なっている。
 政治家として犯罪被害者問題に取り組んできた私の歩みと重なる。悪質な運転による被害者もまた、犯罪被害者なのである。

 今回の法改正の内容は、「車の通行を妨害する目的で、走行中の車の前で自分の車を停止させ、進行を妨害する行為」を『危険運転』に加え、それによって相手を死傷させた場合、最高刑が懲役20年の危険運転致死傷罪が適用される。
 通常国会では法務省所管の同法(7月2日施行)と、警察庁所管の改正道路交通法(6月30日施行)が成立した。(図参照)

あおり運転図のサムネイル

「業務上過失致死傷罪」は私にとって因縁とも言うべき罪である。
 私は大学卒業と同時に新聞記者となり、初任地の宮崎支局でサツ回りを担当した。(新人記者は地方支局で警察や裁判を担当するのが通例)
 当時、全国的に暴走運転が横行していた。

 大幅なスピード違反、信号無視の自動車によって20代の一人娘を奪われた父親が、「暴走運転撲滅県決起大会」で、美しい娘さんの写真を高く掲げ、涙ながらに訴えた姿を今も思い出す。
 その少し前、私はその事故の記事を書いた。「業務上過失致死の疑いで犯人逮捕」と書きながら、この罪名に強い違和感を感じた。

「過失で済まされる行為ではない。犯罪ではないか」という怒りと、「『業務上』とは、まるでタクシーやトラックの運転手みたいだが、加害者は職業運転手ではない」という単純な疑問だった。
 刑法の中の罪名であり、「『業務上』とは、繰り返し行われる行為によるものとの意味で、運転免許を取ったら運転は繰り返し行われるのが一般的だから、そういう名称になっている」ということを後に知ったが、納得はできなかった。

 交通事故で人を死なせた場合は、業務上過失致死罪で、「最高でも懲役5年」という時代が、1968年(昭和43年)から2000年まで続いた。
 刃物を振り回して人を死亡させたら殺人、殺意までなければ傷害致死になるのに、「車という凶器」なら「事故」という扱い。
これはおかしい、と私は思ってきた。私が議員になってから犯罪被害者や遺族の思いを裁判に生かすことや、被害者救済策(裁判への参加、金銭面、PTSD=心的外傷後ストレス障害対策)を進めてきた。
 同時に、うっかりミスではない、悪質な交通事故は交通犯罪ととらえ、「危険運転致死傷罪」を設け、法整備を進めてきたのだ。

 法改正の歩みは次のようになる。
 2001年(平成13年)秋の臨時国会で、悪質かつ危険な運転により人を死傷させた場合の「危険運転致死傷罪」を刑法に新設し、致死の場合、最高刑を懲役15年とした。
 1999年に東名高速道路で、飲酒運転のトラックに追突された乗用車内の幼児2人が死亡する事故などが背景にあった。

 2004年(平成16年)には、刑法改正で有期懲役の上限から引き上げられたことに伴い、危険運転致死罪の法定刑が「1年以上20年以下の懲役」に引き上げられた。罪が重くなった場合の加重上限は30年になった。

 2007年(平成19年)には刑法に「自動車運転過失致死傷罪」を新設。一般の過失致死傷が「懲役5年以下」であるのに対し、自動車運転過失致死傷は「懲役7年以下」と重くした。
 自動車という鉄のカタマリを運転する以上、「うっかり」の過失でも重大な悲劇を引き起こすという意味が込められていると私は思う。

 2013年(平成25年)に、「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」を制定し、危険運転致死傷罪と自動車運転過失致死傷罪を刑法からこちらに移した。
 やっと交通犯罪専門の法律ができたのである。

 酒酔い運転で事故を起こした後、水を飲んだり、酒をもっと飲んだりして(「事故後に飲んだ」と偽るため)発覚を免れようとした場合、罪を重くすることにした。

 これは2000年代の事故で、加害者が発覚を隠そうとしたことを受けての改正である。
 2006年(平成18年)、福岡県で飲酒運転の車に追突された乗用車が橋から海中に転落、車内の幼児3名が死亡した事故が発生。加害者は事故後に大量の水を飲み、飲酒運転を隠そうとした。
 被害車両に同乗していて、子どもを助けようと何度も暗い海に潜った母親が罰則強化を訴え続けて法改正が実現したが、今もその活動の様子が思い浮かぶ。

 また、危険運転致死傷罪の対象に「一方通行の逆走」を加え、無免許運転の場合には罪を加重することにした。
2011年(平成23年)に名古屋市で無免許かつ酒気帯びで運転し、一方通行の道を逆走、被害者と衝突して逃走した事件(被害者は事故後死亡)や、2012年(平成24年)、京都府亀岡市で無免許運転をした少年により3人が死亡、7人に重軽傷を負わせた事故がきっかけだ。

 さらに、アルコール、薬物の影響のほか、「一定の病気の影響により正常な運転に支障が生じるおそれがあることを認識しながら事故を起こした場合」を罪の対象に加えた。
 背景には、2011年、栃木県鹿沼市で、てんかんの持病のある運転者が児童6人を死亡させる事故を起こし、また、2012年には京都市で同じくてんかんの発作を起こした運転手が7人死亡、12人に重軽傷を負わせた事故がある。

 2000年代になってから(私は節目の2000年6月25日初当選)、「犯罪被害者救済」が社会的、政治的に重要なテーマとなり、同時に「悪質な危険運転によるものは事故ではなく、交通犯罪」という位置づけをすることができるようになったのだ。
 度重なる悲惨な死亡事故と、犯罪被害者の方々と一緒に取り組んだことを改めて思い返す。